2015年1月26日月曜日

6年生 闇の中の小さな光

芸術は◯◯だ!
自分にとっての◯◯って何?
一枚のキャンバスに問いかけます。

芸術は、上手く描くことではなく、
楽しく描くことの中から生まれてくるもの。
自分の中から、自然にわき出して来るものを探してごらん。

描くことを楽しまないと、
自分の中に眠っている
芸術の「源泉」のようなものに
たどり着くことはできないよ。

大人は、その表現を見て、すぐにこう聞きたくなります。
「どうして、これを描いたの?」
「何を描いているの?」と。

しかし、それは描いた本人にもわからない
というものも、あっていいと思います。

なぜなら、
表現するということは、
自分の中に眠っている
自分にもよくわからない「無意識」の闇から、
小さな光のようなものを、つかみ出してくる作業だからです。

だから、6時間の制作時間のうちの4・5時間
描くものを探し続けるということもあります。

大事なのは、絵を完成させること以上に、
描いていて楽しいということ、
そして、深く潜り込むことができること。

自分が描きたいものが先にあって、それを描くのか
それとも、
そこに表れてきたものを通して、自分を知るのか。
どっちが先かわからなくなる。

自分がつくることで、自分がつくられる。

そうして、そこに表れた一人一人の「芸術」
一つ一つ、見ていて見飽きることがありません。

完成したとき、誰一人
「これでいいですか?」と聞いて来た人はいませんでした。
みんな「できました!」と言って、
自分の意思で筆を置きました。


中には、授業が終わってから、
「終わらなかったから、休み時間につくりにきます」
と言う人もいます。

考えてみれば、それは当然のことで、
授業時間という制約は、
学校のように教科ごとに時間がわけられている仕組みから生まれているもので、
人の表現に向かう意識には関係がありません。

「時間がないから、これでいいです」とか、
「時間がまだあるから、最後までやらなくちゃ」と言わずに、
時間が来る前に「完成しました!」と自分の意志で完成を決めたり、
時間が過ぎても「終わらなかったので、時間がある時に終わらせに来ます」という
この子たちの正直さが、とても素晴らしいと思いました。

みんながすでに作品を完成させている中、
黒い絵の具ですべてを塗りつぶした人がいます。
どうしたのかと思って話を聞いてみると
「描きたいものが見つかった」と言います。
そして、たったの40分ほどで新たな絵を描き上げました。

「ひらめき」はいつやってくるかわからない。
授業が終わってからやってくることも、あって当然。
それを、引き受けられる「学校」でありたい。
少なくとも、人の創造力を妨げるようなことにならないように、
注意深くあらなければと思いました。

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